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マルコによる福音書連続講解説教

2022.11.20.降誕前第5主日礼拝説教

聖書:マルコによる福音書16章14-20節『 福音を宣べ伝えよ 』

菅原 力牧師

 昨年の5月から聞き始めたマルコによる福音書の連続講解説教、今日その最後を迎えました。

 イエス・キリストが十字架にかかって死んだのが、紀元30年ごろ。そして新約聖書におさめられている書簡、手紙が書き始められたのが、50年ごろ。つまりパウロをはじめ、いろいろな人の手紙が書き始められてから20年もたって、マルコは手紙・書簡ではなく、あるいは主イエスのたんなる伝記という形でもなく、福音書というこれまでになかった全く新しいジャンルを敢えて作り、福音書を書いた。新約聖書にある四つの福音書の中で最初に書かれたがマルコによる福音書です。ということは、マルコはこれまでだれも書かなかった、先行者のいない新しいタイプの書物を著したことになるのです。マルコはどうして福音書を書き著したのでしょうか。

 マルコによる福音書という書物の名前はマルコが付けたものではありません。この時代にはタイトルをつけないのが普通だったからです。後の時代、2世紀になってからユスティノスという人物が福音書と呼び始めた。マルコはこの書物の冒頭1章1節で、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書き記しました。福音書の冒頭の一句に福音のはじめ、とあるとわたしたちはそれを当たり前のように読んでいきます。しかし「福音」という言葉は、それまでは別の意味をあらわす言葉で、宗教用語でもなかったのです。

 福音という言葉は現在、日本語としても定着していて、朗報、とか喜ばしい知らせ、というような意味で使われています。しかしこの言葉は、もともと、ギリシヤ語では別の意味を持つ言葉でした。しかし聖書の中の文書でこの言葉が独自の用いられ方をする中で、逆にそれまでの意味よりも、聖書独自の意味が定着していった、そういう言葉なのです。つまり聖書はこの福音という一語に、大切な、譲ることのできない、恵みを盛ろうとしたのです。自分たちが経験した前代未聞の、全く新たな恵み、信実、それをこの一語に託した。そのことを新約聖書の文書で明確に語り始めたのは使徒パウロです。実は新約聖書の中で、この福音という言葉は76回出てくるのですが、そのうちの48回がパウロ書簡に登場する。パウロはイエス・キリストの十字架と復活の出来事を福音と呼び、この出来事によって贖われ、救われ、わたしたちが新しく生かされていく、その溢れるばかりの恵みの出来事を福音と呼んだのです。マルコがパウロからどのような影響を受けていたのか、まだまだ分からないことが多いのですが、しかしマルコもこの「福音」という言葉の大切さ、かけがえのなさ、溢れる恵みの豊かさを受けとっている。またマルコは主イエスご自身が「福音」という言葉を語っておられた、という伝承を受けとっており、それがあの有名な「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」つまりマルコは主イエスが語った福音を伝えると同時に、イエス・キリストの存在、歩み、言葉、そして救いの出来事の全部を「福音」と呼んだのです。何よりも、マルコ自身がその福音によって救われ、古い自分に死に、新しいいのちへと招かれた、その福音を書き記したかったのです。

 しかし福音を書き記すということはどういうことなのでしょうか。マルコは、イエス・キリストいう方の存在、行動、言葉、関係性をできうる限り伝承に即して、伝えようとした。しかしながら、マルコはそれを伝承の断片の寄せ集めとしてではなく、福音書物語として書く、という試みに取り組んだのです。

 物語ということは、たんなる創作とか、小説ということとは違います。

 たとえば、わたしたち一人一人にとっての物語というのは、自分が父と母とによって生まれ、育てられ、幼稚園で、学校で、こんな出会いが与えられ、こんな出来事があって、このような苦しみを経験して、こんな喜びを経験して、今のわたしがいる、という物語のことです。歴史に根差した物語、つまりイエス・キリストの福音の物語をマルコは書こうとしたのです。それはイエス・キリストが、福音を語り始められたことや、弟子たちをまねき、行動を共にし、病人を癒し、奇跡をなさり、多くの敵対者に囲まれ、歩まれたこと。家族の無理解や、弟子たちの無理解という問題にも直面し、そのような中で伝道活動を続けられたこと。多くの人々に向かって、たとえ話という手法を用いて、人々の心の中で神のことばを届けるだけでなく、その言葉が一人一人の胸のうちにとどまるような語り口を用いられたこと。故郷ナザレで受け入れられず、ユダヤの宗教的な指導者権力者たちから攻撃を受ける中で、福音を語り続けられた。そのすべてが福音の物語なのです。イエス・キリストの物語なのです。

 マルコは、すでに申し上げたように、主イエスの十字架へ向かう道、そして受難の日々に、この福音書の多くの頁を割きました。それはイエス・キリストの福音の物語が、受難の物語でもあるということに他ならないであり、マルコはそのことに深く目を開かれていた。その場合の受難とはただたんに主イエスを攻撃するものが多いとか、無理解に取り囲まれていた、というようなことではなく、主イエスご自身が罪人のひとりに数えられることを意思し、かつ十字架において罪人の罪を負うことにご自分の使命を覚えておられた、ということなのです。

 マルコ福音書は、長い前書きのついた受難物語である、そしてその受難の主が神によって復活させられたという大きな物語なのです。

 

 もしマルコが、イエス・キリストの福音に出会い、自分が信じ、自分が納得して、それで自己完結しているのなら、この福音書を書く、ということはしなかったし、その必要もなかったでしょう。わたしたちが新約聖書を読んで素朴に感じる疑問の一つに、どうして、主イエスの弟子たちは、こんなにも伝道したのか、という疑問があります。12弟子だけでない、女性の弟子たちも、そしてパウロをはじめ、多くの弟子たち。使徒言行録を読むと、実に多くの者たちが厳しい状況の中で喜びと感謝の中で果敢に伝道していくのです。

 わたしはそれは、この福音そのものの性格によるのだと思います。この福音はユダヤ人にだけ限定されるものではない。ギリシア人にだけ限定されるものでもない。福音は、どんな人にも、誰にでも与えられる神の恵み、信実であることをマルコも知らされてきた。だから、福音書を書くことで、この福音を全ての人に伝えたい、そういう願いが与えられたのでしょう。もちろんすべてのものが福音書をあらわすわけではない。マルコにとっての伝道が、この福音書執筆ということであったのです。キリストの言葉に従えば、全世界に宣べ伝える、というその一端を担いたい、そういう思いがあったのでありましょう。

 

 しかしそれだけではない。マルコが福音書物語を書いたのは、この物語を読んで、これはわたしのための物語だ、ということを読者一人一人が知ってほしい、という願いがあったのです。読者一人一人がイエス・キリストが地上を生きた日々を辿ることによって、その宣教のわざを辿ることで、その受難の道をたどることで、これはわたしのための物語であり、わたしもこの物語によって活かされていく一人の人間だ、ということを知ってほしい。この物語を知ることで、わたしが今わたしの物語を生きるまことのいのちが与えられる、ということを知ってほしい。

 19節に「主イエスは、弟子たちに話したのち、天に上げられ、神の右の座に就かれた」とあって、そのすぐ後、「一方弟子たちは出かけて行って、いたるところで宣教した。」とあります。イエス・キリストの昇天が語られ、神の右の座に就いた、というのですが、もしそれが主イエスという方は、地上でこういう働きをなされ、最後は十字架で死に、復活されて、神さまのみもとに戻られたのだ、それで終了ということなら、今を生きるわたしたちとは関係がない、ということになる。遠い遠い所へ行ってしまわれた方のお話しです。偉人伝のようなことになる。けれども、キリストが召天されて後、弟子たちはいたるところで伝道を始めたのです。それはキリストが今ここで生きてくださっている、という信仰に突き動かされてのことです。死んで終わりなら、伝道の必要はない。神の右に座して、神とキリストが送ってくださる聖霊の働きにおいて、今ここで、イエス・キリストはわたしたちの救い主として、わたしの中で生きて働いてくださる。この信仰が弟子たちを伝道へと向かわせたのです。

 「主は彼らと共に働き、彼らの語ることが真実であること江尾、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。」伝道そのものも、彼ら彼女たちの頑張りというのではなく、そこでキリストが共に働いてくださる歩みだというのです。

 マルコはキリストの福音を物語り、その福音によって歩き始めた弟子たちの物語、、実はそれも福音の物語の拡がりを書き記した。そしてそれは、読者であるわたしたち一人一人が、このキリストの物語を、わたしはこの人生においてどう生きていくのか、問いかけられている、投げかけられているのです。この物語の中にわたしの物語があるのだ、ということを、受けとめていきたいそう願うのです。